水平線を飛び越えて

その先の景色を、見に行きたくて。

【!】当ブログでは画像を多用しています。WiFi環境下での閲覧を推奨します。

『好き』を追い求めた結果、青ブタの考察とかを書くことに辿り着いた話

こんばんわ

 

今回はいつもと少し味を変えて、『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』『青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない』に対して、考察や感想、評価など、自分が思ったことを纏めてみました。思うことが増えたらその都度追記していこうかなと思います。

なので、今日はいつものクソみたいなノリを捨てて、少し真面目な文章を書いてみます。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(以下、ライトノベル・アニメ『青春ブタ野郎』シリーズのネタバレを含みます。)

 

翔子さんが好きだ。

 

彼女に出会ったのは、今から4年ほど前、中2の夏休み明けに本屋に寄ったのがきっかけだった。その日から、私の気持ちは変わらない。これまでもそうであったように、これから先も大好きだ。

しかし『好き』と言うのは、単なる表面的なものでは語ることはできない。相手をもっと見たい、知りたい、感じたい、そう言った感情から来るものである。そうであれば、私は『牧之原翔子』を充分に理解出来ているとは言えないのではないだろうか。この4年間、私は彼女のことを紙や画面を通して見るだけで、勝手に『好き』と感じていただけに過ぎない。彼女をもっと知らなければならない。そう考えた私は、ある程度の見解と考察、作品や彼女に対する感情を整理してまとめておこうと思った。

ただ、この文章を執筆しているのはただの学生だ。なんなら試験期間でもある。いくら考察と言ってもさすがに限界がある。そのあたりをご理解して頂けると有難い。

 

定義

作中に出てくる翔子は以下の5形態。

小学生翔子 小学4年生の牧之原翔子。作中では翔子が思春期症候群を発症する原点とされる

中学生翔子 中学1年生、作品で本軸となる世界線の翔子。重度で末期の心臓病を患っていたが、過去に戻り克服。唯一全ての可能性の未来の記憶を持っている。

高校生翔子 中3の咲太が七里ヶ浜で出会った翔子。6年後の未来から来た高校2年生。咲太の心臓が入っている。

大学生翔子 高2の咲太が出会った翔子。作中では19歳としか表記されていないが、他表記との一貫性も含めて大学生としている。咲太の心臓が入っている。

梓川翔子  麻衣が事故にあった際、咲太の元に現れた翔子。アニメでは描写されなかったが、原作では咲太と念願の学生結婚をしている。麻衣の心臓が入っている。

以下はこの表記を使用する。

 

整理

思春期症候群

翔子の思春期症候群の内容は「将来への希望と不安の気持ちから、『大人になりたい翔子』と『大人になりたくない翔子』の2人を存在させてしまい、『大人になりたくない翔子』は未来を拒み、目に見える世界の速度を遅くするが、相対的に見た場合、遅く動いているものは速く動いているものと比べて時の進みを早めてしまうため、皮肉にも『大人になりたくない翔子』は『大人になりたい翔子』より早く未来に辿り着いてしまった」と言うもの。『翔子さん』は『大人になりたくない翔子』が未来に辿り着いた結果である。

 

過去や未来はすぐそこに

過去や未来というのはすぐそばに存在しているが、それらは常に触れられるものではない。人は今を認識するので精一杯であり、すぐそばに過去や未来が存在しているとも知らないから。

しかし、『現在』が『今』であるという常識を睡眠によって切り離し、『過去』を『今』だと認識する。そこに前述の思春期症候群を発症したことが合わさり、『翔子さん』は未来からやってくることができた。

 

考察

梓川翔子

梓川翔子の場合について一つ書きたくなった。

梓川翔子の過去に戻る際の方法であるが、これは当人に限らず、どの翔子も過去に戻るには前述の通りの方法を使っているだろう。梓川翔子のように「思春期症候群」を発症していなくても過去に戻ることが可能であるならば、翔子のケースに関しては「思春期症候群」をわざわざ引き合いに出さなくてもよい。

これはシリーズ全体に言える話であるが、本作で起こる現象には作者のこじつけ、俗に言う「ご都合主義」が多いように感じる。今回の場合は梓川翔子が過去に来れた理由とその方法がこじつけであると考えているが、裏を返せば「思春期症候群」自身もそうであると言えるだろう。起きる現象に対してその名前さえ付けてしまえば物語が成立してしまう。逆もしかりで、「思春期症候群」という単語があれば病状は何でも許される。結局はなんでもありなのだ。

 

2年前

ゆめみるハツコイの範囲ではないが、翔子関連の話であり、この先の考察で必要になるため追加した。

なんでそのタイミングなんすか

都合よく咲太を助けることできるか???って思ったので

高校生翔子と中学生咲太の話を麻衣or双葉から聞いた可能性がある。その話を知っている翔子の知り合いはこの二人。麻衣も双葉も高校生翔子に親交があるという記述はないが、双葉に関しては梓川翔子に過去に戻る方法について仮説を立てている。

「未来の双葉さんに仮説を立ててもらったんです」(「ハツコイ少女」P80-L7 より)

しかし、高校生翔子と梓川翔子とでは過去自体が変わっている。これに関しては後で掘り下げようと思うが、咲太の昔の話を双葉から聞き、過去に行った可能性は大いにあるだろう。

 

頻度

度々病院を抜け出すようになった (ドラマCD「初恋少女の夢を見ない」より)

「度々」となると、翔子と咲太は何度かに分けて会っていることがわかる。日を跨いでしまっては、未来から来ている翔子にとっては大変なはずだ。大学生翔子の際は梓川家に居候していたが、高校生翔子の場合は何も明かされていない。

可能性としては2つ。1つはいちいち過去に飛んでいこと。咲太が七里ヶ浜に来る時に合わせて過去に飛んでいる。可能性としては高いが、非効率的である。いちいち過去に飛ぶのも簡単ではないだろう。

1つ目が一番有力ではあるが、2つ目としてどこかに滞在している可能性がある。野宿も出来ないこともないが、数日間に渡っているため現実的では無い。咲太以外の人間に見えているのかはわからないが、大学生翔子と条件が同じなら見えている。そうであれば、ホテル等を借りることが可能だ。牧之原家や梓川家にはもちろん滞在できないため、宿泊施設への滞在が妥当である。しかしこちらも限度があるため、この可能性は極めて少ないだろう。

 

ゆめみる少女の時代軸

なんで大学生

2年越しに再会した翔子は17歳から19歳になっていた。これがずっと疑問だった。考察の序盤で述べたように、この作品はこじつけが多い。翔子を大学生にさせることで物語に新鮮みや面白さを与えたいと言うのが本音で、その原理は有耶無耶でも構わないと踏んだ可能性は少なからずあるだろう。しかし、それであればなおさらちゃんとした理由を追い求めたくなるのが人間の天性である。燃える。

普通に考えれば、高校生翔子と出会ってから2年経過したからというだけであろう。最初に咲太と出会った際、翔子は高校2年生。そこから2年経って再会しているのだから、そのまま単純計算をすれば大学1年生。作中では19歳とも明言しているため、辻褄もあう。しかし、それでは作者の「ご都合主義」となんら変わらないものに過ぎない。高校生の翔子だって事故を防ぐことは出来たはすだ。

 

なぜ高校生翔子ではダメだったのか

大学生になってしまったのではなく、なぜ高校生ではダメだったのか考えてみよう。先ほど述べたように、同じ翔子であるならば、高校生の時点で咲太と麻衣を事故から遠ざけることだって可能なはずだ。それなのに大学生になっているのはどう言う原理なのだろうか。

これは「将来スケジュール」が関係しているだろう。

二年前に咲太が出会った女子高生の『翔子さん』は、高校生の欄を埋めることができたからいなくなってしまった。(「ゆめみる少女」P112-L14 より)

高校生翔子がこの時系列に存在できないのは「将来スケジュール」の高校生の欄を埋めてしまったから。適当に言えばもう用済みというわけだ。しかし、これは翔子さんの存在が「『将来スケジュール』を体現するために現れた」ことによるものと考えられていた時のものである。結果的にこれは間違いであったため、真偽ははっきりしていない。

考えているうちに迷宮入りしてしまったのでこの話題は一度打ち切らせて頂く。こちらも考察の余地があるだろう。

 

ハツコイ少女の時間軸

梓川翔子の世界線になった時の高校生・大学生翔子の事象

ゆめみる少女では「咲太が事故に遭う」世界線で話が進んでいくが、ハツコイ少女冒頭の梓川翔子が登場するシーンでは「麻衣が事故に遭った」世界線になっている。本来起きるべき出来事に変化があれば、それと並行して未来も変わるもので、翔子に本来移植されるはずだった咲太の心臓は、麻衣のものに置き換わってしまった。その結果、翔子の未来も変わり、実際に大学生翔子と梓川翔子とでは人生も記憶も全く異なっている。

それに翔子は答えない。答えられないのだろうと思う。(中略) 咲太の心臓を移植された翔子とは、別の人生を歩んできた翔子と言うことになる。(「ハツコイ少女」P60-L4より)

咲太が口にした『翔子』は、ここにいる『翔子』とは別の未来を歩んだ、別の存在だからだろう。(「ハツコイ少女」P70-L17より)

では、その梓川翔子が存在する世界で、大学生・高校生翔子が関連している事象はどのように認識されているのだろうか。未来が変わったなら、別の未来から来た翔子は居ないことになる。その未来が無ければ、大学生翔子が関連した事象に関しては、その記憶が完全に無くなるか、クリスマスの時ののどかのように、起こるべき事柄が夢として出てきているかの二択になる。

しかし、咲太自身はしっかりと記憶を持っていた。それ以外にも、花楓や、大学生翔子が利用していたチャペルや電車、バスの係員など第三者はどのような記憶を持っているのだろうか。

麻衣が亡くなってから梓川翔子が来るまでの数日間、咲太が一睡もしていないのであれば、麻衣の思春期症候群と同様の事が起きていると予想できるだろう。

しかし『まともに眠れていない』となると、若干は眠っている事になる。であれば麻衣と同様の事は起こらない。

 

結局、解決に至らなかった。

 

その他

翔子さん着替えどうしていたのか問題

どうしていたんでしょうね

麻衣のを借りている描写はあるが、少し曖昧だ。

「一回家に帰って、着替えを取ってくるのよ。翔子さんのパジャマとかも必要でしょ?」(ドラマCD「青春ブタ野郎キャットファイトの夢を見ない」より)

「着替えを取ってくる」と言うのは、麻衣だけの話なのだろうか。翔子に関しては「パジャマ"とか"」と記述されている。パジャマのみならず、普段着も借りているのかもしれない。しかし、大学生翔子の格好は中学生翔子が着ていたものに似た白いワンピースをはじめ、「牧之原翔子」を彷彿とさせる白色系統の服を着ている。麻衣がそのような服を持っているのかもしれないが、おしゃれ全開な麻衣とはやや系統が違う。自分自身ファッションに興味がないため何とも言えないが、やはり普段着は翔子のものであるという考えが自然ではないだろうか。

麻衣から借りている可能性を除けば、一番先に出てくるのは普通に未来から持ってきているのであろう。作中で咲太が過去に戻った際はしっかり服を着ていた。物がどこまで過去に遡れるかについては記述されていないが、身につけている場合は一緒に飛べるのであろう。ある程度服を何着か持った状態で過去に飛べば、着替えを持って行くことは可能なはずだ。

それ以外にも、過去に行ってから現地で買っている、いわゆる現地調達というやつをしているかもしれない。歴史の教科書を変えてしまうレベルのタイムトリップをすれば話は別だが、年月は6年ほどしか変わらないため、過去に戻っても服は購入できる。しかし、購入するとなると金銭面の問題がある。前述の「持っていれば一緒に過去に飛ぶ」原理が使えれば、ある程度金を持って過去に来れるとも考えられるが、季節は冬。コートやブーツなど、通常よりも多く服にコストが掛かる季節に、わざわざそんなことをするとも思えない。咲太や麻衣に金を借りていることもないはずだ。下着やシャツ1枚ほどならまだしも、着ている服全てを現地調達したとは考えられない。

 

牧之原家系、寒いのに強い

劇場版アニメの冒頭、中学生翔子がはやてのお手入れを学びに梓川家に来た際、彼女は半袖のワンピース1枚であった。上着とコートをを着て来ていると考えても、その下が半袖では着込んでいても寒いであろう。梓川翔子も冬の曇り空の下、長袖のワンピース1枚だった。また、物語の終盤で牧之原家3人が七里ヶ浜の海で遊んでいる時も、彼女は長袖1枚(?)、両親はセーターのみであった。たまたま上着を脱いでいたとも考えたいが、昼間とは言え1月上旬の海沿いだ、気温は10度あるかないかだろう。咲太と麻衣がコートを着ているのにそんな事はあるのだろうか。

中学生翔子に関しては説明が行く可能性もある。この前後、彼女は入院をしているはずだ。外に出てきてみたら、意外と寒かったみたいな事は無いと断言できない。私自身、学校行事で夏に日本から冬のオーストラリアに行ったことがあるが、普通に寒かった。

しかし、問題は彼女に両親も薄着である点だ。牧之原家自体が寒さに強いのかもしれない。羨ましい限りだ。しかし、大学生翔子に関してはコートを着ているし、なんなら室内でセーターを羽織っている描写もある。急に寒いのに弱くなったか、咲太や麻衣に着とけと言われたのか。よくわからないが、布団やこたつを出るのが辛く無さそうで羨ましい。牧之原家の血を引いていればよかった。

 

翔子さん、意識すると可愛い

いつもは余裕ぶっこいてる性格の翔子さんだが、咲太が脱いだものをそのまま置いてきた時はこのような反応をしている。

「ま、まったく、なんてものを見せるんですか。き、着替えは置いておきますね」

あきらかに動揺している様子が見て取れるだろう。

 

 

は????????????????????????

ごめんなさいちゃんと常体で書く予定だったんですけど書いてる途中に限界きましたさいこおおおおおおああああああああああああああああ

ギャップやん これが俗に言う「ギャップ萌え」ってやつやん

Fooooooooooooooooooooooooooooooooooo

これはつまり、予期せぬタイミングで「愛してる」とか言われたら弱いのではないでしょうか?余裕の表情してた翔子さんが赤面するのめっちゃ見たい誰か

 

作品に対する印象

原作

ご存じの通り、ライトノベル青春ブタ野郎」シリーズの第6弾「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」、第7弾「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」が原作である。著者は鴨志田一、イラストは溝口ゲージで、発行はKADOKAWA電撃文庫レーベル。ゆめみる少女は2016年6月10日、ハツコイ少女は2016年10月8日にそれぞれ第1版が発行・販売されている。

 

ストーリー構成

最高としか言えない。神。天才。何食べたらこんなシナリオ書けるのか教えて欲しい。1巻から7巻まででも良いので、是非読んでほしい。

 

翔子が出ない

少し話が脱線するが、原作第10弾より、翔子の出番が一切無い。

この物語において牧之原翔子は重要な存在であり、高校生編における鍵を握っている。

高校生編の象徴とも取れる彼女を、大学生編に入るに当たって『卒業』させることは、物語に目新しさを与える為には必要なのかもしれない。人間というものは飽きやすい。斬新なものがないと、人々は離れていってしまう。今までのオタクを引き止めつつ、新しくオタクを獲得するには、やはりイメージを変化させることが最適であろう。そしてその効果はあったと思う。私個人の話かもしれないが、確かにイメージは変わった。もちろん、悪い意味で

オタクにとって、推しとは人生だ。例えどんなに辛いことがあったとしても、推しがいるから頑張れる。推しのために生きていると言っても過言ではない。私の場合、推しとは無論「牧之原翔子」のことである。その推しの出番がないと言うことは、オタクの生きる必要性を必然的に奪ってしまっていることになる。私の場合はもはや瀕死状態である。ICU入るレベルだ。いつ死んでもおかしくない。まじで。

物語において、新しいものを創り出すのは簡単だ。しかし、創り出したからにはそれ相応の責任がつきものである。作者には是非、その身勝手な行動のおかげでマイナスな印象しか持てなくなってしまったファンにも目を向けて欲しい。もっと責任を持て。良い物語を創り出せるのだから出来るはずだ。

 

アニメ

アニメは劇場版「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」が翔子当番回。制作はCloverWorks、配給はAniplexで、2019年6月15日、全国の劇場31ヶ所で上映を始めた。公開直後の15日、16日の2日間のみでの動員数は約6万6000人、興行収入は約1億円に到達した。規模を考えても、この数は相当である。私はこの2日間とも劇場に足を運んでいるが、どの回も満席でびっくりした。予想を超える人気から、全国での拡大上映が決定。合計95館で上映され、最終的な興行収入は5億1000万円であった。すごい。

(Wikipediaより一部引用)

 

ストーリー構成

よくできている部類に入るだろう。他の作品と比べて情報量の濃い内容であるにも関わらず、ストーリーに無駄がなく、それでいて大事なところはしっかり伝えていて、素晴らしいと思う。

しかし、これはTVシリーズにも言えることだが、テンポが早すぎる。複雑な説明や心理描写があるのにも関わらず、そのシーンまで駆け足になっており、視聴者側の理解が追いつかないままストーリーが進んでしまう。そうなれば、視聴者離れを引き起こす原因にもなりかねないだろう。それを無くすには、TVシリーズを2クール分にした上でハツコイ少女までの内容を放送するのが妥当であった。そうすれば話の進展がゆっくりになり、内容がわかりやすくなる。視聴する際のハードルも下がるのではないだろうか。

 

ここまでは俯瞰的に見た話だが、自分の中では、このストーリーは残念でしかない。ありえないとか、論外とか、そう言うことではない。監督、シリーズ構成、脚本家、そしてそれを承認した制作側、全員の感性が残念で仕方がない。

本編を観た方は大体想像は付くかもしれないが、梓川翔子さんが未来で咲太と学生結婚している設定がまるまる切られているからだ。定義で述べたことであるが、原作のハツコイ少女の序盤、咲太を助けに来た翔子には麻衣の心臓が移植されており、しかも咲太と結婚している。翔子の左手薬指には指輪がはめられており、それに気づいた咲太との会話は秀逸なものである。実際に引用で紹介しようとも考えたが、このシーンは自分自身の目で確かめるべきであろう。是非とも本編を読んでほしい。

学生結婚は、中学生翔子が「将来スケジュール」に書きたい、つまりは夢であると言っていたことである。ただでさえ未来が無いとされていた彼女が病気を克服し、さらに「咲太との結婚」と言う夢を叶えられたことは、他のどの世界線でも有り得ない話である。そしてそれは、表現の仕方こそ悪いが、居なくなってしまった麻衣のおかげであり、彼女が遺してくれたものである。

麻衣を失ってしまったことで叶えられた翔子の未来というのは、儚くも素敵で、とても深いものである。麻衣との未来か、翔子との未来か。本作のテーマの1つである「二者択一」と言うものは、この事柄があってより深まるのではないだろうか。それなのにここをカットしてしまうと言うのは、残念という以外に他ならない。また、アニメにおいて、咲太の麻衣に対する愛は本編で多く語られているが、翔子に対する愛はあまり語られることはなく、語られても尊敬程度のもので、『好き』と言う感情は過去形にされがちである。咲太が翔子と結婚していると言うことは、翔子のこともしっかり愛していることを、行動によって証明している。これが無ければ、咲太の翔子に対する愛はそれほどではないと言うことになってしまう。このシナリオでは、「二者択一」を語っておきながら、結局は「一者択一」と言っているようなものだ。麻衣への純愛さを重視した結果なのか、他のキャラはどうでもいいと判断した結果なのか。どちらにせよ、ストーリーが浅いものになってしまっているのは間違いない。

 

涙のタイミング

本作を観て「泣いた」と言う人達は、果たしてどこで泣いたのであろうか。一緒に観た学校の先輩方は、翔子が『生きたい』と語ったシーンや麻衣が事故に遭ったシーン、大人の翔子が消えたシーンやエンディングで泣いたと口々に語っていた。この意見は観た人達の大半に当てはまると言っていいだろう。実際、私も何度かウルっとはした。しかし、この作品で泣いた事は確かだが、このシーンではウルっとしただけで泣いてはいない。ではどこで泣いたと言うのだろうか。

私が泣いたのは、なんとエンディング曲の歌い出しであった。は?

エンディングの曲は「不可思議のカルテ movie ver.」。歌はラスサビを除きほぼ翔子と麻衣の声だけで構成されているのだが、それ以外はTVアニメ版から続くものだ。この曲は前奏が無く、曲の始まりから歌が始まる。そしてその歌い出しは翔子である。ここだ、ここで私はガン泣きしたのだ。

エンディングの後に流れる翔子の声。それは、翔子には未来があると言うことを暗示しているように感じられたのだ。未来を夢見る事すら許されなかった少女が、未来に希望を持てている。推しの幸せな世界が、物語の終わりの先に存在している。それが本当に嬉しくて、涙が止まらなかった。

 

おわり

申し訳ないが今回はここまで。やはり試験期間。まだ書くことはあるのだが、これ以上書いていては試験が大変なことになってしまう。冬休みになったら追記していきたいと思う。

突貫工事になってしまったが、今日更新することが出来て良かった。

 

今日は12月8日。本編では翔子さんが梓川家にやってくる。そこから、物語は動き始めるのだ。